ポイント 千葉の成田山新勝寺の川越別院です。
成田山川越別院本行院は、江戸時代末に石川照温師によって開創。
師は文化二年下総国葛飾郡に農家の三男として生まれ俗名を留五郎、仮名を一心といいました。幼少より他国に出てさまざまな困難に逢うなど頗る波乱に富んだ生活を送る中、両眼を失明し前途の希望を失い自殺を計ること三度に及びましたが遂に果たされませんでした。
己を捨てることの出来なかったのは、神仏の未だ己を見捨て給わぬためであると固く信じ、成田山新勝寺に於て、断食の行に。この修行で不思議にも見えなかった両眼に異変を感じて少しずつ見えるようになって、遂に満願の頃にはほぼ元通り平愈することができたそうです。
そのため不動尊の偉大なる加持力、また大慈悲に心から感激した師は、一生を明王のために捧げることを誓い、天保13年(石川照温師は39歳)に成田山の貫首、照阿上人を慕って出家得度しました。
その後、照阿上人の許しを得てついに一念を発起し、不動明王の御霊を鼓吹するため諸国巡歴の旅に上がりました。そして各地で師の徳を慕い集ってくるものが増し、ここ川越の地に不動明王を安置して師を住せしめんと、10数人の有力な地元の世話人達が廃寺となっていた川越久保町の本行院を再興すべく、川越城主松平大和守に願い出て、その許可を得ました。
そして嘉永六年本行院の復興とともに成田山貫首照輪上人が御本尊不動明王のご分霊を開眼し照温師に授与せられこれが成田山川越別院の起源に。成田山本行院と公称するようになったのは、明治10年からで、従来の本行院の建物等一切を本山の管理に移し、本行院は本山の最初の別院となりました。
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