注文した焼き鳥が出てくると、誰ともなしに串から鶏肉の塊を外してバラバラにする。いつ、誰が始めたか知らないが、そういうことになっている。それを世間では「女子力」と呼ぶらしい。もっとも、「女子力」という言葉自体に手垢がつきすぎていて、今この2018年にこの言葉を使うのが正しいのかはわからない。少なくとも、数年前までは「女子力」という言葉で言い表していた行為のひとつである。ただ、焼き鳥に関しては、私の観測上では女子に限らず男子もやっていることが多い。サラダを取り分けるのは女子、焼肉屋で肉を焼くのは男子、鍋の取り分けと焼き鳥の串外しは男子も女子もやる。

サラダについても、鍋の取り分けについても、言いたいことは山ほどあるけれど、まあ、いったんいい。サラダと鍋は取り分けないと食べられないのは間違いない。一方、焼き鳥はどうだろうか。「焼き鳥」を食べたいと思って注文したのに、いざ食べるときにはすべて串から外した状態になっている。それは果たして「焼き鳥」として正しいのだろうか。その串は、何のためにあるのか。この「串外し文化」がある限り、私にとって焼き鳥の適正人数は1人だ。ファミコンでマリオをするときは1~2人、麻雀は4人、ものには適正人数というのがある。串を気にすることなく食べるには、1人で行くしかない。


常々そう思っていたのだが、ある焼き鳥屋がこの問題にメスを入れてくれた。

▲「鳥一代」のブログ「ヤマゲタンのひとりゴト」より引用

▲「鳥一代」のブログ「ヤマゲタンのひとりゴト」より引用

2016年秋、東京・田町に本店がある「鳥一代」の店主・山﨑一彦さんが、「焼鳥屋からの切なるお願い」というブログを書いた。焼き鳥は1人1本、上からかぶりつくことでおいしく食べられるように、刺し方、焼き方、味の付け方を工夫しているのに、串から外してシェアされてしまっては悲しい、という内容である。それじゃあ刺す意味がない、フライパンで炒めても変わらない、と。


そうそう! そうなのである! よくぞ言ってくれた! と私はこのブログの書き手を心の中で胴上げした。「みんなで食べるご飯」には、焼き鳥然り、サラダ然り、暗黙のルールが存在する。私はこのルールがそれはそれは嫌いだ。ひねくれた捉え方をすると「“気を遣える私”プレイに巻き込まないでおくれ」と思うし、好意的に捉えようとするとそれはそれで“気を遣えない自分”に落ち込む。どう捉えようとしてもなんだか釈然としない気持ちになる。だからといって、自分が率先して串外しをしに行くのは無理な相談だ。串から外してしまうのでは、はて、この串の存在意義とは・・・と考え込んでしまう。その逡巡が命取り。そうこうしている間に誰かが串から外している。八方塞がりである。


その上このブログによると、焼き鳥というのはおいしく感じるためのロジックに沿って調理されているらしい。串から外してしまうと、それが台無しになる。何ひとついいことがないではないか! 「鳥一代」の山﨑さんがこのブログを書いた日、店先のホワイトボード看板を撮影したお客さんのツイートは大いに拡散された。テレビでも取り上げられ、串ありと串なしでの味の違いについて検証された結果、実際に串ありのほうがおいしいという結論が出たらしい。 1年以上たった今、店に来るお客さんに変化は見られたのだろうか。

▲取材に行った日のホワイトボード。書かれる内容は日替わり

▲取材に行った日のホワイトボード。書かれる内容は日替わり

「あれ以来、串から外さない人が増えたんですよ」と山﨑さんは語る。メニューにしても、今まで一番人気だった「お任せ5本盛り」(850円)の注文数が激減。1本ずつの注文が明らかに増えたらしい。「『ねぎまの人ー?』などと希望を取って、1人1本前提の注文が多くなりました。それに、僕のブログや、拡散されたホワイトボード看板のことは知らずに『焼き鳥って串から外さないほうがおいしいんだよ』と語るお客さんも結構いるんですよ。テレビで観たり、どこかから伝え聞いたりしたんでしょうね」と、山﨑さん。

▲肉を切ることから始めて、串に刺し、焼けるようになるまで、何カ月もかかる

▲肉を切ることから始めて、串に刺し、焼けるようになるまで、何カ月もかかる

山﨑さんがこの「串外し」に気づいたのは3~4年前のこと。


「砂肝が、たくさん床に落ちているんですよ。なんで砂肝ばかりが落ちているのか不思議だったんですけど、串から外しているからだとわかりました。砂肝を串から外そうとすると、飛んじゃうんですよね」(山﨑さん)


確かに、身がしっかりした砂肝は飛びやすい。本来はみんなで少しずつ色々な焼き鳥を食べようと思っての串外しだったのに、砂肝は飛び、数が合わなくなる。いくつかの砂肝を犠牲にしてまで、人は串から外さずにはいられないのだ。 山﨑さんによると、焼き鳥を串から外すと、以下の五点において不都合が起こるのだという。


・切り方:食べ物は一口目が重要。てっぺんを一番大きく切り、ボリューム感を出すことで、味の印象を強くする

・味付け:同様に、一口目の味を濃くするために、てっぺんに塩を多めに振っている

・刺し方:鶏肉の繊維に対して90度に串を指すことで、肉が柔らかく感じる

・肉汁の量:串から外すと、肉汁が外に出ていってしまう

・肉の温度:串から外すと空気に触れる面が増え、さめやすくなる

▲確かにてっぺんが一番大きい

▲確かにてっぺんが一番大きい

▲上から下にいくにつれて、徐々に小さくなっている

▲上から下にいくにつれて、徐々に小さくなっている

山﨑さんは「大前提として、お客さんが好きなやり方で食べていただければいいのですが」と言いつつも、お店側が根拠を持って「串から外さないほうがおいしい」と声を挙げてくれたことに、すごく意味があると私は思う。これまでの串外しの数々は、基本的にはよかれと思って行われてきたはずだ。


そこに女子力をアピールするといったよこしまな気持ちが含まれていたとしても、みんなが食べやすくなるためにやっているのは間違いない。あるいは、ぼんじりやねぎま、砂肝など、適当に頼んだ焼鳥を平等に少しずつ食べられるように。いずれにせよ、そこにはそれぞれの「よかれ」があり、「よかれ」が串を外させる。串から外すと焼き鳥のおいしさが薄れるなんて、たぶん知らなかった人のほうが多い。

▲おいしすぎる

▲おいしすぎる

たぶん、仲の良さの度合いが低いほど、人は「よかれ」で埋めようとするのだと思う。私は「よかれ」のない関係が好きだ。串を外さなかったからって、サラダを取り分けなかったからって、嫌な奴だとは思わない。 逆に、串を外したから、サラダを取り分けたから、印象がよくなるなんてこともない。「よかれ」がないと保てない程度の関係ならば、1人でいたほうがずっといい。よかれと思っての串外しがどこにいっても起こらなくなるくらい、「串から外さないほうがおいしい」と世の中に浸透した暁には、誰かと焼き鳥を食べに行くのもいいかもしれない。熟れた果物のような柔らかい鶏肉を口いっぱいに含みながら、そう思った。

▲ねぎまの一口目を食べます

▲ねぎまの一口目を食べます

▲・・・!

▲・・・!

一人焼き鳥を楽しむ三か条

その1 一人で食べれば串から外さなくてよい

その2 串から外さずかぶりつく焼き鳥は本当においしい

その3 「串外し文化」が廃れない限り、焼き鳥は一人で行くに限る

鳥一代 本店
  • 所在地

    東京都港区芝浦3-13-18 2F

  • 最寄駅

    田町

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