一般的に「一人バー」はさほど特殊なものではない。いわゆる「おひとり様」向けのスポットが特集されるとき、バーが選択肢のひとつに挙げられることも少なくない。それこそ、「バー恋愛」は一人バーから始まり、「あちらのお客様からです」とありがちな出会いを経て、成就に至るのだ。しかし、それが私にはどうしてもできない。一人で行動するのをこんなにも愛しているのに、いくつになってもバーにだけは行けないままである。



そこで私は、正真正銘の「一人バー」に踏み切ることにした。一人で仕事帰りにバーに出向くそれではない。バーテンもいない、客もいない、私だけがバーに存在する「一人バー」である。今回は、知人が働く下北沢のバー「ギジドー」を少しだけ貸し切らせてもらうことにした。



私は、なぜバーに一人で行けないのだろう。バーテンとうまく話せないからなのか、見ず知らずの人と交流したくないからなのか、だとしたらそう思わせる原因はなんなのか。たった一人だけのバー空間で、静かに考えてみたい。



バー「ギジドー」は、下北沢の小劇場「ザ・スズナリ」の建物の1階部分にあった。初めてだとまず気づかないような立地だ。バーというものはつくづくそういうところがある。たいていが狭くて暗い場所にあり、店の中も外からはよく見えず、入っていいのか悪いのかもよく分からない。バーには「入ってもらおう」という気概が感じられない。もっと全身で「入ってほしい感じ」を表現してくれたらいいのに。

▲誰もいない

▲誰もいない

バーテンのいないカウンターに一人、立ってみる。近い。こうして立ってみると分かるが、お客さんの座る席と、バーテンの立つ場所の距離が、近すぎる。お客さんの席同士ももちろん近い。もしも一人でお店に行くと、右に他人、左に他人、目の前にも他人(バーテン)、ほぼ全方位を他人に囲まれることになる。バーを楽しめる最低条件として、“パーソナルスペース”(他人に近付かれると不快に感じる空間)が狭いことが挙げられるかもしれない。

▲とりあえずビール

▲とりあえずビール

さて、ともあれお酒を作ってみようと思う。バーテンの私が、客の私に出すお酒を。事前に、この店で働く知人に、バーテンがお酒を作るときの振る舞いを教わった。銀色の聖杯のような形をしたお酒を入れる道具(メジャーカップ)の使い方ひとつをとっても、何かと決まりがあるらしい。例えば、ジントニックを作るときには、左手の人差し指と中指でメジャーカップを挟むようにして持ち、瓶からジンを入れる。そして、メジャーカップを持った左手の手首を、左側にくるりと返して、左側に置いたグラスにジンを注ぐ。

▲メジャーカップにジンを注ぐ

▲メジャーカップにジンを注ぐ

▲手首をくるっと返す

▲手首をくるっと返す

お酒を混ぜるにも作法があるらしい。ジントニックのような炭酸で割るものは、混ぜるための長いスプーン状のもの(マドラー)を、氷の下にそっと入れて、下から氷を一回持ち上げる。ちょっとの振動で炭酸がすぐに抜けてしまうため、あまり大きく動かして混ぜてはいけないのだという。カシスオレンジなど炭酸ではないお酒は、マドラーを右手の人差し指と中指で挟んで、手首だけを動かすようにして回す。手をぐるぐると動かすと美しくないため、わざわざ手首だけを使うのだそうだ。

▲炭酸のお酒は下からそっと持ち上げるだけ

▲炭酸のお酒は下からそっと持ち上げるだけ

▲炭酸ではないお酒は手首だけを美しく動かす

▲炭酸ではないお酒は手首だけを美しく動かす

プロのバーテンはこれを顔色ひとつ変えず、カッコよくやって見せるわけだが、これがまた緊張感を煽り、バーの敷居を上げているようにも思う。カッコいいバーテンの作るカッコいいお酒を飲むにふさわしい、カッコいい客であれ。バーには、そういう無言の圧力がある。

▲シェイカーも振ってみた

▲シェイカーも振ってみた

▲私「あちらのお客様(私)からです」

▲私「あちらのお客様(私)からです」

一人しかいないバーでバーテンと客の一人二役をやってみた_75970

誰も話しかけてこないことが約束されている一人だけの空間で、お酒を飲みながら思った。バーは前述の通り、バーテンともほかの客とも物理的な距離が近い空間なわけだが、それでいて精神的な“距離感”を適切に測るセンスも求められるのではないだろうか。その日、その場で会ったばかりの人に対して、適度にこちらの情報を開示し、適度に踏み込む。そのちょうどいい距離感というのは、人によって大きく異なる。好きなお酒の話題程度でとどめたい人もいれば、身の上話を聞いてほしい人もいる。私は、この他人との距離感を測ることが絶望的に苦手である。そもそもこれが苦手だから、一人で行動するのを好むのだ。

一人しかいないバーでバーテンと客の一人二役をやってみた_75971

つまり、たとえバーに行くまでは“一人”でも、ひとたびバーの門戸をくぐると、たちまち一人ではなくなる。それがバーというものなのだ。バーテンもほかの客もいない、正真正銘一人だけのバーは、バーで感じるストレスがすべて排除された空間だった。だったら家で一人でお酒を作って飲めばいいのでは……、と頭によぎったけど、あまり考えないことにする。

一人バーを楽しむ3カ条

その1 バーテンも客も自分だけならば緊張しない

その2 バーテンも客も自分だけならば誰も話しかけてこない

その3 家で一人でお酒を作って飲めばいいという説もある

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※本記事内の情報は2016年03月25日時点のものです。掲載情報は現在と異なる場合がありますので、事前にご確認ください。
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