開運・日像菩薩霊場
本土寺は、もと源氏の名門平賀家の屋敷跡と伝えられています。今をさかのぼる事およそ七百年前の建治三年(1277年)に、領主の曽谷教信卿の協力により領内の地蔵堂を移して法華堂とし、日蓮大聖人より長谷山本土寺と寺号を授かったのに始まります。
池上の長谷山本門寺、鎌倉の長興山妙本寺と共に朗門の三長三山と呼ばれ、宗門中屈指の大山として末寺百数十を統べ、山内は四院六坊がとりまく十四間四面の本堂を中心に七堂伽藍がその山容を誇ったものでありますが、惜しいかな度々の不受不施の法難と明治維新の廃仏毀釈運動(仏教とりつぶし)のために衰滅し、今は昔の威容とてうかがえません。しかしながら三聖人ご出生の聖跡として今尚名高く、又開運、乳出子育、学業増進、所願成就のご霊験で知られている名刹です。
三聖人とは平賀の三兄弟で、師孝第一と讃えられる日朗聖人、日蓮大聖人に次ぐ偉聖と崇められる日像聖人、そして池上本門寺、比企ケ谷妙本寺の大成者日輪聖人です。
日朗聖人は長兄に当たられ、宗祖の第二番目のお弟子として、法難続きの伝道を共にされたことは余りにも有名です。また日像聖人は、文永六年八月十日(1269年)にこの地に生誕され、七歳にして身延に登り学業にはげまされ大聖人が池上においてご入滅の際には、わずか十三歳の若年ながら、並み居る大勢のお弟子、ご信徒の中から選ばれて、都(京都)での開教と天子の教化の大遺命をたまわれることになりました。
二十五歳の年、宗祖の十三回忌に当たる永仁二年の春から都で布教するも、勅命で追放されること三度、さらに他宗等の迫害を二十八年もしのび、遂に後醍醐天皇に妙法を奏上することが叶い、法華宗号のご綸旨と勅願寺を賜り、立派に祖願を成就されたことは、西日本一帯に法華の宗を弘めた大聖人として崇められる所以でもあります。
今日、像師堂にご安置する「親子相愛のお姿」は、法難の日々を案じられる八十余歳の母「妙朗尼」に、我が身に代わってご対面すべく、自ら刻んで送られたお姿と伝えられています。このお姿は、「開運の御影」ともいわれ、開運除災、学業成就に古来霊験が顕著です。また側のご誕生水は「乳出のご霊水」といわれ、七百年の昔よりご利益は不思議な程であり、近年までは祈願者が続いたものです。
「花の寺」として親しまれている本土寺の「本土」とは「我此土」(わがこのど)つまり、お釈迦様が本当の佛、本佛となって住む国土「本土」に由来します。また花は、本佛に捧げる花であり、宝樹です。あなたの心にも永遠の安らぎが与えられますように、お釈迦様(本佛)のお姿は草木国土成佛させようという慈悲の光に輝いています。
最寄駅
北小金駅(徒歩10分)
所在地
営業時間
開門 8:00~閉門 17:00(最終受付 16:30)
定休日
年中無休
問い合わせ
047-341-0405
備考:テレフォンサービス 紫陽花期・紅葉期のみ
公式サイト
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