ポイント 1300年の歴史がある天台宗寺院。国宝「慈光寺経」宝物がたくさんあり、阪東9番札所霊場でもある。3月下旬から5月にかけて50種類以上200本の桜を楽しむことができ、シャガの群生地でもあります。新緑の時期や、夏には避暑にもなり、秋は紅葉狩りの紅葉など、四季折々の風景が堪能できます。海抜330メートルの観音堂からは新都心までが一望できるスポットです。
九十六世信海著寺伝『都幾山慈光寺実録』天武天皇の白鳳2年(673)僧慈訓が当山に登り慈光老翁より、十一面千手千眼観音堂を建立、観音霊場とし開基、役小角が当山に至り、西蔵坊を設け修験道場とする。
奈良時代に、唐より来朝した鑑真和上の高弟、釈道忠により、慈光寺は創建。道忠は、仏法を広めるため東国を巡錫し、徳望篤く利生に努め、民衆より広恵菩薩と敬称され、一尺六丈の釈迦如来像を安置し、一山学生修学の大講堂とした。
平安時代になり、伝教大師最澄が比叡山に天台宗を開教し、道忠教団により二千余巻の経典が奉納と『叡山大師伝』に記す。
桓武天皇の延暦2年(783年)伝教大師により天台密教の教旨が当山に弘通され、その後、台密の教法を修学する学徒と役小角の流れをくむ行徒二派が修行する女人禁制の道場とし、千手観音の霊場とし繁栄。特に清和天皇には、天台別院とし「一乗法華院」の勅額を賜る。
貞観13年(871)には上野国大目安部小水麻呂(こうずけのくにだいさかんあべのおみずまろ)が、「大般若経」六百巻を書写し、当山に奉納。筆跡優れた古写経とし、国の重要文化財に指定。
鎌倉幕府を開いた源頼朝は、当寺に崇敬の念篤く、文治5年(1819)奥州の藤原泰衡追討に際し、戦勝祈願のため愛染明王像を当山に贈り、寺領として1200百町歩を寄進し建久2年(1911)の源頼朝寄進状が現存。華麗優婉な装飾経として有名な国宝「慈光寺経」伝来し、後鳥羽上皇を筆頭とする藤原兼実一門が結縁のため書写した「法華経」の一品経である。
建久8年には、臨済宗の祖・栄西禅師の高弟栄朝禅師が参りまして、当山に臨済宗の霊山院を創建し、禅道場が開かれ、この頃が慈光寺の全盛であり75坊が甍を連ね、壮大な寺院群は、輪奐の美を誇った。慈光坂の丈余の板碑群は、その頃の栄華を偲ぶ。
江戸幕府の世、寺領百石が与えられ、3代将軍家光の室桂昌院の信仰が篤い。
昔は慈光寺がこの地方の政治・経済・文化の中核をなし、その伝統や技術が、今なお盛んなときがわ町の建具や小川の手漉き和紙、そして狭山茶の産業として息づいている。
今日、慈光寺は、比企山中の木立深き、静かな寺として、坂東三十三観音霊場第九番札所の巡礼を迎え、また週末には、マイカーの現代の人々が来山して憩う日々である。
<ご利益>
家内安全・交通安全、合格祈願・学業成就、健康祈願・病気平癒、商売繁盛・千客万来、金運上昇・財運上昇、出世成功・昇格昇進、恋愛成就・縁結び、安産祈願・子宝・子授け、厄除け・厄払い、開運招福・諸願成就
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