[連載] 川口葉子の東京カフェ クロニクル 〜カフェの上にも3年〜

大学時代に熱中したスキーが開店のきっかけに。こだわりの空間と手抜きのない料理であたたかく出迎えてくれる

三軒茶屋の名物エリアといえば、昭和初期の面影が漂う狭い路地に、居酒屋を中心とした小さな飲食店が密集する「三角地帯」。

その一角にあるバラック小屋のような佇まいの古い銭湯と向かい合って、かみむら食堂は優しい蜜柑色の光をともしている。

おなかがすいた、でも初めてのお店に飛びこむのは気おくれする……そんなときこそ、迷わずにこの上等なカフェの扉を開けたい。まじめに手間をかけて仕込みをした料理の数々を、センスの良い空間で心地よく味わうことができる。

メニューには家庭料理のような定食が並んでいる。無農薬有機栽培の新潟産コシヒカリを炊いて、手で握るおにぎり。ひじきごはん。

毎日、大量のかつおぶしで出汁をとって作るお味噌汁。玉子焼き、細やかな心くばりがうかがえるサラダ、煮豆、塩麹や米麹で漬けた野菜。どれをとっても手抜きがない。

お店がプロとして家庭料理を提供するには、「料理上手なお母さん」とはまた違う次元の技術と知識が必要になるが、店主の上村健太さんはそれをよくわきまえている。

そう、緑いっぱいの空間づくりや盛りつけのセンスから、カフェ好きの女性が作るお店かと思いきや、かみむら食堂の店主は38歳の男性なのだ。

すべて手作りであることも、お米にこだわっていることも、とりたててアピールはしていない。「あたりまえのことだから」と上村さんは言う。子どものころ、実家の母親はいつもかつおぶしを削って出汁をとっていた。

「ちゃんと作っていることは、食べていただければわかるんじゃない?と思っています」

「手塩にかける」という言葉が好きだという上村さん。カフェを開くきっかけとなったのは、大学時代に熱中したスキーだった。

シーズン中は長野のスキー場の旅館で住み込みのアルバイトをしながら特訓に明け暮れていたが、「心に決めた目標を達成できないまま卒業することになった。一度は就職したが、30歳までと期限を決めて長野に引っ越し、アルバイト生活を送りながらスキーをしてました」

面倒見のいい(本人曰く「さみしがり屋の独り好き」)上村さんは、アルバイト仲間の学生たちに「仕事が終わったら、うちにメシ食いに来い」と言って手作りの料理をふるまっていた。

「学生たちに『うまいうまい』『お店やったほうがいいよ』と持ち上げられて(笑) 確かに自分でも楽しかったんです」

30歳を目前にしてカフェスクールに通いながら、コーヒーチェーンで働いてエスプレッソ抽出を学んだ後、2軒の飲食店の厨房で経験を重ね、35歳でかみむら食堂をオープンした。

細部まで入念に仕上げられた質感豊かなインテリアは、西荻の「無相創」に依頼。ひとつひとつかたちの異なる灯りの列が、たまご色の壁を照らしている。鳥籠を思わせる針金のシェードは上村さんが注文したもの。

洗面所の美しさと、ホテルのようにタオルを用意した贅沢さには目をみはるが、このこだわりは住み込みで働いた旅館で身についたこと。

「家族経営の民宿のような旅館でしたが、女将は使っていない部屋のトイレも毎日きれいに清掃していたんです」

上村さんは現在でも毎年、年末にその旅館を訪れて、仲間たちと年越しスキーをするそうだ。

階段下のスペースには、靴を脱いでくつろぐことのできるスペースを設けており、小さな子どもを連れたお母さんに好評。子どもたちもすっかり上村さんになついているが、「ごはんを食べるときはゲームはやめようね」などと、言うべきことは言う。

その姿に、カフェとは人と人とが向き合っている場であることを思い出す。

だから、ここにはさりげなく包みこまれるような温かさと安心感があるのだ。お年寄りだろうと子ども連れだろうと、空腹を抱えてやって来たすべての人に「ここにはあなたの居場所がありますよ」と、言葉ではなく、料理と笑顔で伝えている。

かみむら食堂という名前は、映画『かもめ食堂』とも響き合っているのかもしれない。


text&photo / Yoko Kawaguchi

HISTORY

2012/02 三軒茶屋の三角地帯にカフェをオープン。当初、三軒茶屋は候補地ではなかったが、たまたま入った不動産屋さんが「他には出していない物件がある」と案内してくれたのが現在の場所だった。
「コーヒーや食材も含めて、うちで使っているものはすべて、人のご縁でつながっているんです」
2012/05 お店のWebサイトを開設し、ブログを書き始める。
2012/06 オープン3か月、スタート時の緊張が解けてきて、疲れがどっと出る時期。40℃の高熱を出して数日間、臨時休業。
2012/07 2日間のイベント「-wa-」を開催。異なる世界で輝いている12人の女性たちが、アート作品の展示、料理教室、ロミロミなどをおこなった。
2012/08 少しずつお客さまが増えてきて、金・土・祝前日の営業時間を延長。
2013/03 講師を迎え、米麹を使った味噌造り体験教室を開催。
2013/08 イラストレーター「illustration akko」さんのTシャツ、ポストカードを展示販売。
2013/10 建物全体の送水ポンプが破損し、水が出ないというピンチに見舞われる。修理業者が駆けつけたが、ポンプ交換が必要となり、夕方以降の営業は臨時休業を余儀なくされた。
2014/03 ガラス細工アーティスト、いとうなほこさんの「あたらしいきせつ」展。ガラスのピアスやネックレスを展示販売した。

ホワイトデーにサブレをたくさん焼いて、来店したお客さまにプレゼント。小さなサプライズだったが、お客さまは大喜び。

SHOP DATA

かみむら食堂
住所:東京都世田谷区三軒茶屋2-14-22
最寄り駅:三軒茶屋

まだある!川口葉子が選ぶ三軒茶屋のおすすめカフェ

コーヒーと読書の愉しみを伝える京都の名店、エレファントファクトリーコーヒーの姉妹店。淡いランプの光が照らす午後の静謐な店内は、一人で本を読むのにふさわしい。夜は食事やお酒のしめくくりに立ち寄る人々も多数。

MOON FACTORY COFFEE(ムーンファクトリー コーヒー)
住所:東京都世田谷区三軒茶屋2-15-3 寺尾ビル 2F
最寄り駅:三軒茶屋

自家焙煎のスペシャルティコーヒーをサイフォンで抽出。青い炎がフラスコのお湯を沸騰させ、コーヒーができあがる光景は、何度見てもマジックのよう。大人の男性も落ち着いて過ごせるシンプルで洗練された空間。

CAFE OBSCURA(カフェ オブスキュラ)
住所:東京都世田谷区三軒茶屋1-9-16
最寄り駅:三軒茶屋

パリの香りを伝えるクスクス料理で親しまれたカフェが、本格モロッコ料理とビストロ料理のお店に変身。一番人気は手作りソーセージ「クスクス・メルゲーズ」。色とりどりの美しいランプの下で、まずは気軽なランチからどうぞ。

DAR ROISEAU(ダール ロワゾー)
住所:東京都世田谷区三軒茶屋2-13-17
最寄り駅:三軒茶屋

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本記事内の情報に関して

※本記事内の情報は2015年04月23日時点のものです。掲載情報は現在と異なる場合がありますので、事前にご確認ください。
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