趣味趣向は人それぞれ。筆者は明治から大正にかけての文学が大好きなのですが、それについて語り合える友達がおらず、誰とも分かりあえずいまいち盛り上がりに欠ける幼少期を過ごしてきました。


そんな長年に渡る孤独を胸に、大阪から上京した筆者。東京へ来てびっくりしたのは「東京って小説の舞台になったとこばっかやん!」ということです。これには心底びっくりしました。しかし、東京で知り合った人に「武蔵野市在住」と言われ「国木田独歩ですね!」と意気揚々と返しても微妙な反応しか返ってこず……。


一度でいいから「ほんまそれな!」「むしろ大岡昇平ですけど!」(大岡昇平は『武蔵野夫人』の著者)などの会話がしてみたいのですが、誰とも分かり合えないなら自分一人で楽しめばいいと思うんです。そこで、著名な作家らが書いた小説の舞台へ、一人散策へ行ってみました。

井の頭公園/「ヴィヨンの妻」(太宰治著)

「女遊びがひどく金遣いが荒い、口のうまい詩人」という絵に描いたようなクズ夫に苦労させられる女性を描いた小説「ヴィヨンの妻」。ダメ男と付き合っている全ての女子が「あるある」とうなずいてしまう小説だと思うのですが、この作品に登場するのが三鷹にある井の頭公園です。

▲都会のオアシス・井の頭公園。訪れた人みんながのんびりしているいい公園

▲都会のオアシス・井の頭公園。訪れた人みんながのんびりしているいい公園

約3年間に渡る無銭飲食の末、小料理店からお金を盗んでしまった夫に代わり「どうにかする」と言ってしまった妻が途方に暮れてやってきた井の頭公園。ダメ男のそばにいるのは努力家で献身的な女性というのは、今も昔も変わらないようです。ちなみに筆者はどちらかというと妻ではなくダメ夫側の人間です。


小説では、妻は4歳になる息子と共にベンチに座り池を眺めます。

▲座ってみた。セルフタイマーで撮影していたら、散歩中のおじいちゃんが「とってあげようか?」と声をかけてくれた

▲座ってみた。セルフタイマーで撮影していたら、散歩中のおじいちゃんが「とってあげようか?」と声をかけてくれた

ベンチに腰かけた妻は、息子に「坊や。綺麗なお池でしょ? 昔はね、このお池に鯉トトや金トトが、たくさんたくさんいたのだけれども、いまはなんにも、いないわねえ。つまんないねえ」とつぶやきます。

▲いたよ! 鯉いたよ!

▲いたよ! 鯉いたよ!

なんと今はちゃんと鯉がいました。親の都合に振り回された挙げ句、知らない公園のベンチに座らされた坊やにも見せてあげたいです。


井の頭公園の帰り、妻はぶらぶら吉祥寺の駅のほうへ向かい、にぎやかな露店街を見てまわります。今でも井の頭公園から吉祥寺駅にかけては商店街が栄えていました。

▲食べ歩きできる店も多いので、ここで買って井の頭公園で食べるのも良さそう

▲食べ歩きできる店も多いので、ここで買って井の頭公園で食べるのも良さそう

妻はこの後、夫が金を盗んだ小料理屋で働きはじめ、そして夫のファンだという行きずりの男となぜか一夜を共にしてしまいます。


同じ女として悲惨としか言いようのない妻の状況ですが、まだ26歳なんですよ。すごいですよね。生きる勇気が湧きます。


太宰の後期の小説には「ヴィヨンの妻」以外にも、多くの小説に三鷹が登場しています。筆者にとっては「三鷹」と書いて「だざいおさむ」と読んでもいいんじゃないかと思うほど太宰治のイメージが強い街。太宰の後期の作品には救いようのない不憫な話も多いですが、小説の雰囲気が暗くないのはどこか温かいこの街のおかげなのかもしれません。

東京大学/「三四郎」(夏目漱石)

九州から上京した童貞インテリ学生が失恋する小説「三四郎」。三四郎がヒロイン美禰子に一目ぼれしたシーンに登場した有名な池が東京大学に残っています。


東京大学といえば、有名なのが赤門ですよね。ミーハーな筆者は赤門をくぐって池へ行きたいと思います。

▲「三四郎」にもたびたび登場する「赤門」

▲「三四郎」にもたびたび登場する「赤門」

上京した三四郎は、故郷とのあまりの違いに驚き、テンションが下がります。大都会を目の当たりにし「自分は井の中の蛙だった」と思い知らされたときのあの絶望感、同じ上京者の筆者にとっては「分かる~!」のひと言です。


落ち込みつつ、「横に照りつける日を半分背中に受けて、三四郎は左の森の中へ」入ります。「どこだよ、それ……」と思いながら東京大学内で文中の風景を探す筆者。

▲あった。左の森の中へ入れる小道

▲あった。左の森の中へ入れる小道

東京大学のど真ん中に位置している池への入り口を発見。「森」だなんて漱石ったら大げさな表現……と思っていたのですが、先へ進んでみると確かにこれは森ですね。

▲池も案外でかい

▲池も案外でかい

森に入って約3分。巨大な池が見えました。「三四郎がじっとして池の面を見つめていると、大きな木が、幾本となく水の底に映って、そのまた底に青い空が見える」と記述がある通り、水面にちゃんと木々と空が映ります。


文中では「女のすぐ下が池で、向こう側が高い崖の木立で、その後がはでな赤煉瓦のゴシック風の建築である」とあります。どこに三四郎がいたのか特定しづらいですが、向こう岸に赤れんがの建物も見えるので、なんとなくこの辺ということにしておきたいと思います。

▲本当にここが大学?と思うような自然がある

▲本当にここが大学?と思うような自然がある

この池の正式名称は「育徳園心字池(いくとくえんしんじいけ)」ですが、作品にちなんで「三四郎池」とも呼ばれています。調べてみたところ、「一人で見ると、学生は留年、受験生は浪人する」というジンクスもあるそう。学生じゃなくて本当に良かったです。

切支丹坂/「蒲団」(田山花袋)

妻と子どものいる身でありながら弟子入りしてきた女学生にのぼせ上り、ふられた上彼女の使っていた蒲団(ふとん)に顔を押し当て、その匂いを嗅ぎ涙を流すというド変態男を書いた小説「蒲団」。


そのド変態男・竹中時雄が、作品の冒頭で「これで自分と彼女との関係は一段落を告げた」とちょっと格好つけながら女学生のことを勝手に思うシーンに登場するのが切支丹坂です。いつも思うのですが、変態男ってどうして勝手に思い出を美化してしまうんですかね。


「小石川の切支丹坂から極楽水に出る道のだらだら坂を下りようとして渠(かれ)は考えた」とある通り、切支丹坂があるのは文京区の小石川周辺。駅でいうと茗荷谷のあたりです。

▲これが切支丹坂

▲これが切支丹坂

現在の切支丹坂はこの坂ですが、かつてはこの先に続く坂を切支丹坂とよんでいたのだとか。現在その坂は庚申坂という名前に改まっています。地図で確認したところ、その坂をまっすぐ進むと「極楽水」へ到着します。どうやら時雄はこの道を歩いたようなので、さっそく筆者もたどってみたいと思います。

▲庚申坂(旧切支丹坂)。めっちゃ上り坂やん……

▲庚申坂(旧切支丹坂)。めっちゃ上り坂やん……

作中では「だらだら坂を下りようとして」とありますが、さっそく上り坂に差し掛かりました。本当にここで合っているのでしょうか……。

▲庚申坂(旧切支丹坂)を登り切った

▲庚申坂(旧切支丹坂)を登り切った

庚申坂を上りきると、開けた大通りへ。けっこう人目のある場所で女学生のことを思い返していたのかもしれません。

▲住所が小石川なので、たぶんこの辺のはず

▲住所が小石川なので、たぶんこの辺のはず

まっすぐ進みますが、一向に下る気配のない道。本当に時雄はここを歩いたのでしょうか……。

▲まだ下らない

▲まだ下らない

「だらだら坂を」下りられず、平坦な道が続きます。だんだん「時雄は失恋のショックから気がおかしくなって坂を下っているような気がしたという揶揄では」「そもそもあのド変態のやっていたことに信憑性はあるのか」という気さえしてきました。

▲下った!

▲下った!

ようやく道に傾斜が。やはり時雄が歩いたのはここだったようです。急斜面ではない、仰る通りのゆるやかな坂です。こんなに坂が下ってうれしいのは初めてです。


写真では分かりづらいですが、小走りになれば落としたオレンジをキャッチできる程度の坂です。見知らぬおばあさんが坂の向こうから結構速い速度で歩いていましたが、息があがってもいませんでした。


田山花袋を疑ったわけではありませんが、正直ここまでのゆるやかさとは思っていませんでした。百聞は一見にしかず。何事も、実際に訪れてみないと分からないこともあるようです。


ほかにも、神田を舞台とした「小僧の神様」(志賀直哉)や、神楽坂の割烹料理店をモデルとした店が登場する「婦系図」(泉鏡花)など、さまざまな小説に東京の街が登場しています。何の気なしに歩いていた場所があの名著の舞台だった……なんてこともありそうですね。

文学散歩を楽しむ5ヵ条!

その1 とにかくたくさん歩くので動きやすい服装で

その2 行く前に再度小説を読み込んでロケーションを確認しよう

その3 東京大学は「学生の学び舎」ということに留意し騒がない

その4 三四郎池へ行く場合、学生は自己責任で

その5 「本当にここで合ってるの?」と一人でオロオロするのも醍醐味

本記事内の情報に関して

※本記事内の情報は2015年03月19日時点のものです。掲載情報は現在と異なる場合がありますので、事前にご確認ください。
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