第七回 環七線 その2(下小松駅〜六町駅)

環七線はまた環七沿いに戻るために、葛飾区内を北北東へ進みます。西井堀という堀の跡に沿った道を進み、上小松小学校のあたりで「上小松(かみこまつ)駅」。新小岩駅の東側のあたりに下小松、このへんに上小松と、かつて二つの集落があったのです。


そのまま進んでいって、しばらくぶりに環七に合流します。無鉄道地帯の奥戸地域に駅を作りましょう。奥戸小学校のあたりで「奥戸(おくど)駅」。


そこから、既存の駅につなげるためにまた環七を少し離れまして、川をくぐって京成線の青砥(あおと)駅につなげますが、この青砥駅の名前も掘り下げていくと要検討事項だということが分かりました。

青戸が「青砥」になったのはその方がかっこいいから?!

このへんに以前からある地名は「青戸」。いまも地名は「葛飾区青戸」。なんで駅は「砥」の字なのかというと、日本の古典作品に登場する武将・青砥藤綱の名にちなんだという説があります。この青戸の場所もそれなりに青砥藤綱と関係あるらしいんですが、とにかく地名はずっと「戸」の字で、「砥」の字だったことは一度もない。昭和3年にこの駅ができたとき、駅名を武将にちなんでちょっとかっこよくした人がいたみたいなんだけど、何しろ大昔の話なので経緯がいまいちはっきりしない。

駅の命名に妥協や手加減なし!だって妄想だもの

武将にちなんで「砥」にするのは確かにちょっと粋だけど、地名原理主義者の私としてはやっぱり「戸」がいいと思う。だから青戸駅かな……と思いきや、かつて青戸と呼ばれた場所は少しだけズレてて、中川河畔の青砥神社(こっちは武将にちなむから砥の字。ややこしい!)のあたりらしい。青砥駅のあたりは、かつて「淡之須村」と呼ばれていました。なかなか風流な響きの名前です。ということで、ここは京成線ごと「淡之須(あわのす)駅」に改名!


線路は環七の西の、淡之須駅からまっすぐ延びる通りを進みまして、団地の建ちならぶ亀有一丁目交差点あたりで次の駅をつくります。このへんは戦前までは広大な田んぼだったようで、あまり地名らしい地名がない。現存の「青砥駅」よりはこっちのほうが本来の「青戸」に近いので、こっちを改めて「青戸駅」にしましょう。ややこしいですか?いいんです。どうせ妄想なんだから。

足立区の無鉄道地帯についに地下鉄が走る

まっすぐ北に進むと亀有駅にぶつかるので、ここはそのまま亀有駅。実はこの亀有ももともとは「亀梨/亀無(かめなし)」だったらしく、「無し」は縁起が悪いから江戸時代初期に亀有に変更されたらしい。でも、さすがに江戸時代初期までさかのぼる必要もなしということで、亀有のままで。


亀有から北に進みながらまた環七にフェードイン。いよいよ広大な無鉄道地帯を持つ足立区に突入です。巨大な大谷田陸橋のあたりで「大谷田(おおやた)駅」。ここは文句なく昔からこういう地名です。


で、そこからまた環七をちょっと外れて北へ。なぜかというと、この先でつくばエクスプレス(TX)と乗り換えできないと不便だからです。TX、なんで環七のところに駅を作ってくれなかったの。

環七に合流したり離れたり。それでも環七線は続く

谷中三丁目郵便局のあたり、地下鉄の車庫がでーんと鎮座する近くに「辰沼(たつぬま)駅」。ここも、本来の辰沼の集落がもうちょっと北側なので命名には迷いましたが、もう一つの候補だった「谷中」はかつて千代田線北綾瀬駅を「谷中新田」に改名したとき使っちゃってるので、辰沼でいいでしょう。


路線は地下鉄車庫をくぐり、無事TXの六町駅に合流です。六町の表記は昔から「六丁」「六町」が混在していてよく分からない。たぶんここはずっと昔から統一されていなかったと思うので、暫定で「六町(ろくちょう)駅」のままでよしとしましょう。


環七に合流したと思うとすぐ外れるヨレヨレの路線ですが、このあとまた環七に戻ります。環七線はまだまだ続く。

◆「環七線 (下小松駅〜六町駅)」の編集部オススメおでかけスポットはこちら!

葛飾区 総合スポーツセンター 温水プール館
  • 所在地

    東京都葛飾区 高砂1-2-1

  • 最寄駅

    青砥

  • 電話番号

    03-3695-9911

吉田パン(亀有駅)

スポット詳細はこちら

行列のできるコッペパン専門店。作り置きせず一つ一つその場で作ってもらえるので、ふわっふわのコッペパンが味わえる。

東京メトロ綾瀬車両基地
  • 所在地

    東京都足立区 谷中4丁目4-9

  • 最寄駅

    北綾瀬

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