vol.10 目黒といえば権之助坂。南北線に坂にまつわる駅名を増やそう

土地の歴史や地名の由来に強い愛とこだわりを持つ能町みね子さんが、独自の視点で新たな駅名を考案する本連載。第10回目は、平成3年開業の南北線。初めて登場する駅名が多く、ソムリエールの腕がなる路線です!あなたの住むあの駅も、毎日通っている会社の最寄り駅も、本当は違う名前がふさわしいのかもしれません!

初登場の駅名多数!これは語り甲斐があります!

さて、この連載は路線ができた順に時系列で進めているのですが、だいぶ建築年度が新しくなってまいりました。開通したというニュースを私も覚えている、平成3年開業の南北線です。できたのが後発だからほかの路線と駅がかぶりまくるかと思ったら、この路線はあんまりほかの東京メトロと交差していない。語り甲斐がありそうです。


まず「目黒」。ここは山手線ができたはるか昔は「目黒村」にいちばん近い駅だったので、当時としては妥当です。でも、今となっては目黒区内にもたくさん駅があるし、変更してもよさそう。かつてのここの地名は「上大崎村」ですが、大崎駅もあるのであまりこれは使いたくない。思い切って、駅前の有名な坂から取って「権之助坂」でいきたいです。インパクト強いし。


次の「白金台」は、白金に「台」をつけて新興住宅地みたいな名前にしたわけじゃなく、江戸時代から白金という地区の中の「台町」という場所です。「町」までつけたほうがいいです。


「白金高輪」は、隣り合う二つの地名をくっつけたいちばん苦手なタイプの名前。ここ、最初は、加藤清正を祀る覚林寺にちなんで「清正公前」という駅名の予定だったそう。以前から都電の停留所名に使われていたし、今もその名前のバス停や交差点があります。でも、白金高輪駅の位置は清正公前と少しズレているんです。旧都電でいうと「名光坂」の電停に近い。忘れられ度の高い坂の名なので、名光坂のほうを採用。

麻布にも「箪笥町」があったんですよ

南北線は一駅にかける思いが強くて、話が長くなってしまいます。「麻布十番」はそのままでいいと思うのでさっさと次に行こう。


「六本木一丁目」、ここが困りました。地下鉄というのはだいたいかつての都電に沿っていることが多くて、昔の地名を追うときも都電の停留所は大きなヒントになるんだけど、この駅は高度経済成長期に古い街並みを貫いて作られた道の下にある。昔の街並みとか道筋とかのルールに沿っていないのです。首都高のジャンクションに名前を残す「谷町」を取ろうかとも悩んだけれど、結局、いま駅がある場所の昔の地名をそのまま取って「麻布箪笥町」にします。これもほぼ消えてしまった地名です。箪笥町という地名はほかの区にもあってややこしいので、「麻布」は抜かないでおきます。


「溜池山王」は、銀座線の駅のほうを「溜池」にしたので、千代田区側にホームがあるこちらは千代田区が出した案の「山王下」を取りましょう(銀座線の回参照)。これでおあいこ。


「永田町」「四ッ谷」「市ヶ谷」は既出ですが、この3つはこのままでいいんじゃないかな。「飯田橋」は有楽町線の駅と同じように神楽坂の近くにあるので、「神楽坂」で。


「後楽園」。ここも後楽園を名乗るのは丸ノ内線だけにして、交差点名や警察署名にまで生きている坂の名「富坂」のほうを取りたい。狙ってるわけじゃないけど、この路線は坂にまつわる駅名が多くなってきました。

「本駒込」の「本」ってどういう意味だ

「東大前」もちょっと納得がいかない。「東大前」と言ったら多くの人はあの赤門を思い浮かべるだろうけど、東大前を降りたところにあるのは東大農学部です。赤門までは徒歩10分近くかかるので、どうも「東大前」というイメージじゃない。それよりここは「本郷追分」です。日光御成道と中山道に分岐する、歴史の深い分かれ道。こっちのほうを優先します。


「本駒込」は何がどう「本」なのか分からないと思っていたら、「本当の駒込」みたいな意味ではなく、「本郷の駒込」を略して本駒込らしい。嫌いだわ〜こういう雑なの嫌いだわ〜。


最初は、当地のもとの地名「駒込浅嘉町(あさかちょう)」の響きがきれいなので「浅嘉町」で行こうかと思いましたが、ふとすぐ近くにある「目赤不動」が目にとまりました。


「目黒不動」は特に有名ですが、東京にはそのほかに目白、目赤、目青、目黄と、合わせて「五色不動」と呼ばれるお寺があるのです。目黒と目白は地名で知られているけど、ほかの知名度は極端に低い。この一つである目赤不動はちょうど本駒込駅のすぐそばです。ぜひここは目赤不動も有名になってほしい、ってことで「目赤不動」を採用!

幻の地名“カニワ”を復活させよう

「駒込」「西ヶ原」「王子」に関しては文句がないのでサラッと飛ばしまして、調べてみてちょっと驚いたのは次の「王子神谷」でした。


ここは北区神谷。昔にさかのぼっても「神谷村」なのですが、なんと読み方はカミヤではなく「カニワ」だったらしい。トリッキーすぎる。蟹庭とか賀仁和とか、いろんな当て字があったけどいつの間にか「神谷」の字に落ちつき、昭和頃に読みのほうも「かみや」になってしまったらしい。こんなオリジナリティ溢れる地名ならもちろん、駅は「神谷」にして、読みを「かにわ」に戻すしかないです。


次の「志茂」。ここはもともとは「下村」という村。下村のなかにさらに「下」という地名があり、そこが綺麗な字に変えられて「志茂」となり、結果としてそれが駅名にも採用されたというややこしい歴史があるようです。ごめんなさい、私はそういうの、戻したいんです。でも、「下駅」じゃちょっとすわりが悪いかなーと思うんで、「下村」駅かなあ。似たような経緯で、板橋区に「志村」っていうところもあるし。

町の大きさとしては、岩淵>赤羽

長々とやってきまして、ラストの「赤羽岩淵」。ここは近くに赤羽駅があるだけに、まるで「赤羽という大きな街の中の岩淵」のように思われがちですが、本来は岩淵>赤羽です。岩淵町という宿場町のほうが大きかったんですが、たまたま赤羽に駅ができたことで規模を逆転されてしまいました。いまこそ岩淵の復権を!ということで、もちろん「赤羽」は取っ払ってシンプルに「岩淵」にします。


やっぱり新しい路線は変更のし甲斐があります。このまま埼玉高速鉄道に乗って埼玉県にまで斬り込みたいところですが、荒川は越えずに岩淵から赤羽に歩いて、飲んで帰りましょう。

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※本記事内の情報は2017年03月11日時点のものです。掲載情報は現在と異なる場合がありますので、事前にご確認ください。
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