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《今年もこんな季節になりました》に頂いたmaru-nouti-wawaさんのコメント、「山茶花山茶花さいたみち〜♪たきびだ たきびだ おちばたき〜♪」に刺激されて、早速《「たきび」のうた発祥の地》へ行ってきました。
 「たきび」のうたの一番の「かきねの かきねの まがりかど」のモデルになった立派な垣根です。これは個人のお宅の垣根です。二番の「さざんか さざんか さいたみち」の山茶花は向かいの農家の垣根だったそうですが、今は面影も残っていません。
垣根の中に中野区教育委員会の説明板があります。
以下は中野区教育委員会の説明板の内容です。
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 「たきび」のうた発祥の地
  かきねの かきねの まがりかど
  たきびだ たきびだ おちばたき
  『あたろうか』 『あたろうよ』
  きたかぜ ぴいぷう ふいている
 今も人々に愛唱されている「たきび」のうた。
この童謡の作詩者、巽聖歌(本名野村七蔵 1905〜
1973)は、岩手県に生まれ、北原白秋に師事した
詩人で、多くの優れた児童詩を残しました。
 聖歌は、この詩が作られた昭和五、六年頃から
約十三年の間、萬昌院のすぐ近く、現在の上高田
四丁目に家を借りて住んでいました。朝な夕なに
このあたりを散歩しながら、「たきび」のうたの詩
情をわかせたといわれています。
 歳月が流れ、武蔵野の景観が次第に消えていく
なかで、けやきの大木がそびえ、垣根の続くこの
一角は、今もほのかに当時の面影をしのぶことが
できる場所といえましょう。
昭和五十八年三月
              中野区教育委員会
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何時までも昭和の面影が残って欲しいものです……。

投稿日: 2006/10/22 15:32

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  • 大きなケヤキとともに何時までも残って欲しい佇まい…

    大きなケヤキとともに何時までも残って欲しい佇まい…

  • 垣根の中にある中野区教育委員会の説明板

    垣根の中にある中野区教育委員会の説明板



コメント(2件)

  • maru-nouti-wawaさんコメントありがとうございます。
    個人のお宅でこれだけの垣根を維持していくことは大変なことと思いますが、昭和の面影が少しでも永く残っていくことを願っています。
    もし、これがブロック塀だったら……
    昭和の初めはこの辺りは武蔵野の面影をとどめた郊外だったのでしょうネ!

  • こんにちはぁ〜★
    「たきび」のうた発祥の地 ですか!すごい〜
    中野区で生まれた歌だったとは!
    びっくり!!

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