没後10年展 「高倉健に、なる。」

  • 2024/10/03(木) ~ 2024/11/28(木) 休館日:日曜日、祝日
  • 読売新聞東京本社
  • 大手町駅
    東京駅・丸の内
    展示・展覧会
  • 没後10年展 「高倉健に、なる。」_1

    「高倉健全出演作205本のタイトルコラージュ」 提供:高倉プロモーション

  • 没後10年展 「高倉健に、なる。」_2

    「自宅図書室での高倉健」 提供:高倉プロモーション

映画俳優にこだわった高倉健としての生き方、美学を紹介する展覧会が開催されます。

映画俳優として文化勲章を初めて授与された高倉健。本展は、2014年11月10日に83歳で逝去した最後の映画スターのキャリアとその時代を振りかえりながら、映画俳優にこだわった高倉健としての生き方、美学が紹介されます。出演作品や本人の言葉とともに遺した愛用の品々などとともに高倉が求め続けた何か大切なものを現代に伝える企画となっています。本名・小田剛一が高倉健として映画デビューし、その後、様々な経験を重ねながら、常に高倉健として生きてきて、高倉健として人々に見送られた姿が展示されます。この機会に足を運んでみてはいかがでしょうか。

◆開催内容
1、序章~最後の映画俳優
高倉健の逝去は2014年の読売新聞読者が選ぶ国内10大ニュースに入りました。訃報を伝える読売新聞の2014年11月18日夕刊、19日朝夕刊には各界や全国各地からの故人を悼む声が掲載されています。

2、高倉健を背負って
高倉健の本名は小田剛一。1931年2月16日、福岡県中間市に次男として生まれました。父は旧日本海軍の軍人で、戦後は炭鉱夫のとりまとめ役を務め、母は教員。中学時代に終戦を迎え、米国文化に触れたことで、英語を学び、ボクシング部で体を鍛えます。やがて貿易商を目指して、明治大学商学部に進学、就職活動中の24歳、美空ひばり所属の事務所マネージャー見習いになる面接を受けに行った喫茶店で、東映東京撮影所・所長のマキノ光雄にスカウトされます。運命に導かれるように東映ニューフェイス第2期生として東映に入社します。ここからおよそ60年間、全出演作品205本に及ぶ、俳優としての人生がスタートしました。

3、独立
高倉は演技とは何か、生涯ひたむきに追い求め続け、映画の職人に徹して生きていくことになります。テレビが隆盛し映画が徐々に衰退する中で、演じるヤクザ役が任侠モノから実録シリーズにシフトするようになると高倉は東映から独立、他社の映画へ出演する道を進みました。出演映画にこだわりたい高倉は「八甲田山」(1977年、配給:東宝)の撮影に臨みますが、撮影が2年半という長期に及んだため、出演料などの収入が途絶え壁にぶつかります。しかし、前後して上映された「幸福の黄色いハンカチ」(1977年、配給:松竹)と「八甲田山」で、第1回日本アカデミー賞の主演男優賞の栄誉に輝き、独立後の手ごたえを得たのです。

4、優雅な生活が最高の復讐
自身で出演する映画を厳選していきたい高倉は、テレビCMの仕事を引き受けるようになります。日本が経済大国として繁栄するようになった時代、海外ロケのCM撮影も増えました。高倉は、仕事やオフで行った旅の中で、様々な人と出会い、生き方に影響を受けていきます。元妻の江利チエミさんの訃報に接した1982年、高倉は比叡山を訪れ、酒井雄哉大阿闍梨からの「我が往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」との言葉に背中を押され、「南極物語」(1983年、配給:ヘラルド、東宝)の出演を決めました。ブリザードに見舞われ、死と隣り合わせの撮影で、高倉は人生観を変えたと話しています。

5、不器用ですから
1984年、高倉は「不器用ですから」というキャッチコピーのCMに出演します。産業も軽薄短小の時代へと流れていく中、高倉が演じてきた寡黙で、正しく、強い男の姿は敬遠されるようになり、それがいつしか不器用な生き方に映るようになります。そして、パソコンに格闘するCMや国際的にも評価の高い「鉄道員(ぽっぽや)」(1999年、配給:東映)の主役の姿はそのイメージを決定づけました。
「戦後の日本は、金をかけたものが心のこもっているものだとみんながどこかで思いはじめた時から、何かが曲がってきはじめたと思うんですよね。」と語る高倉は大切な何かを追い求めるようになります。

6、俳優って何だろう
世紀の変わり目の前にドキュメンタリー番組に触発され、実話に基づく「ホタル」(2001年、配給:東映)に出演した高倉は、製作に深くかかわり、製作者を対象に贈られる藤本賞の特別賞を受賞します。ロケ地の一つとなった韓国では「両国の映画の懸け橋になれたら嬉しいです」と劇場挨拶をしています。その後、文化大革命後の中国で10億人以上が観たとも伝えられている「君よ憤怒の河を渉れ」(1976年、配給:松竹、中国でのタイトルは「追捕(ツイプ)」)を青春期に観て、いつか高倉と一緒に仕事をしたいと夢見た張芸謀(チャン・イーモウ)監督から熱心な出演依頼を受けます。そして、実現した中国を舞台にしたロードムービー「単騎、千里を走る。」(2006年、配給:東宝)では、素人の演技にも妥協しない張監督の姿に、俳優とは何かを考えさせられたのでした。

7、日本の宝物
「単騎、千里を走る。」以降、高倉は残された時間を意識しながらも、映画ばかりでなく、CMからも遠ざかっていました。2011年の東日本大震災で「これは、僕にとっての第二の敗戦だ…」と語り、途方もない無力感にさいなまれていたといいます。そして、ある1枚の写真を目にし、「負けない。負けるもんか。」という意志をくみ取り、映画俳優として成すべき発露として、遺作となった「あなたへ」(2012年、配給:東宝)に出演します。2013年、日本映画界の発展に貢献したことを評価され、映画俳優として文化勲章を受章します。しかしその後体調を崩し、闘病生活に入りました。次の出演作の企画やCMの仕事を続ける中、2014年11月10日午前3時49分、永眠。高倉健は多くの人々に見送られました。

※内容の詳細は公式サイトをご確認ください。

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基本情報Info
  • 開催場所・
    最寄駅

    読売新聞東京本社
    大手町駅 / 東京駅

  • 所在地

    〒100-8055

    東京都千代田区 大手町1-7-1  
    MAP

  • 会場

    よみうりギャラリー

  • 開催期間

    2024/10/03(木) ~ 2024/11/28(木)
    休館日:日曜日、祝日

  • 時間

    開始 10:00 / 終了 19:00
    ※土曜~17:00
    ただし 17:00以降および土曜日は一部コンテンツを観ることができません。

  • 料金・費用

    入場無料

  • 公式サイト

    https://events.yomiuri.co.jp/kt10

※掲載内容が変更となっている場合があります。最新情報については、会場・主催者の公式サイト等でご確認ください。

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