[連載] 川口葉子の東京カフェ クロニクル ~カフェの上にも3年~

自家焙煎のコーヒーと、パティスリーに負けないスイーツ。東京・湯島で10年以上にわたって愛されてきた小さな名店

「スイーツとコーヒーは恋人の関係、パンとコーヒーは夫婦の関係」
そんな粋な表現をもってコーヒーの時間を豊かにすることを提唱してきたのは、自家焙煎コーヒーの名店カフェ・バッハの店主、田口譲氏である。スイーツはちょっと特別な日に。パンは毎日の食卓に。

自家焙煎のおいしいコーヒーと、パティスリーにも負けないスイーツの理想的な恋人関係を実現するのは、小さなカフェにとっては難題だ。焙煎も本格的な洋菓子づくりも、専門技術と長い製造時間を必要とするから。

東京大学近くのTIESは、その難題をさりげない表情でクリアしている。春日通りに面した扉を開けると、12種類のケーキが並ぶショーケースに迎えられる。奥にはクッキーやフィナンシェなどの焼き菓子も種類豊富に揃っている。奇をてらわない、堅実でしっかりした味わいのスイーツの数々は、テイクアウトしていく人も多い。

和栗とフランス産の栗を使った「モンブラン」。コーヒー味のビスキュイに洋酒をきかせたバタークリームケーキ「モカ」。キャラメルクリームをのせた「メレンゲシャンティ」。どれを選ぼうかと見渡す瞬間はいつも心が弾んで、少しくらい機嫌が悪くてもたちまち直ってしまう。

今日はこれ、と心に決めてカフェスペースに進むと、右手の美しい一枚板のカウンターの中で、店主の坂爪弘樹さんがコーヒーを淹れる姿が目に入る。一杯ずつ、丹念なネルドリップ。ネル袋の先端から琥珀色のしずくが滴り落ちていく。

一面的ではない複雑な苦みから、優しい甘みがのぞく深煎りのコーヒー。開店当時はコクテール堂の豆を使用していたが、2013年からは自らが焙煎した豆をメインに使うようになった。イブラヒムモカなど6種類を揃えたストレートコーヒーと、それらの豆をほぼ同割で組み合わせたオリジナルブレンド。開店当初からコーヒーが気に入って通ってくれた人々のために、コクテール堂のオールドビーンズも継続して扱っている。

この日、私がオリジナルブレンドと共にいただいたのは、季節限定の「栗のタルト」。ラム酒と混ぜたシロップを2度アンビベして、ラム酒の香りを際立たせた大人のためのタルトである。表面にはアンズのコンフィチュール、中にほっくり、渋皮つきの栗。

「栗とラム酒とアンズって、よく合うと思うんです」と坂爪さん。そして、そのひとまとまりの味わいがコーヒーと深く響き合う。魅力的な恋人たちだ。季節限定のタルトやショートケーキは人気商品で、たいてい真っ先に売り切れるのだという。

TIESは夫婦二人で切り盛りしており、自家焙煎もスイーツづくりも坂爪弘樹さんがおこなっている。準備に必要な時間は半端ではなく、カフェの営業時間の前後の時間はすべてケーキ作りにあてられる。

「難しい作業は定休日の2日間に集中させています。あとは毎晩3、4時間かけて簡単な焼きものや仕込みものをやって、翌朝3時間かけて仕上げてお店に出します。寝る時間以外は必ず何かやってますね。疲れるけれど、好きでやっているから苦にはならない」

そんな毎日がTIESの人気を10年にわたって支えてきたのだ。おいしさに加えて、礼儀正しく飾らない弘樹さんのお人柄と、夫人の快活でにこやかな接客も、湯島で支持されつづけてきた理由である。

坂爪さんがカフェを開業するまでの準備期間は長い。北海道の高校を卒業後、東京のドーナツチェーン店に7年半勤務。その後、ケーキ製造会社、高級喫茶店、スイス洋菓子店で10年以上にわたってケーキ職人として技術を磨き、35歳でTIESを開いた。ネルによるコーヒー抽出法は高級喫茶店で身につけたものだ。

カウンターの奥には小さな手廻しの焙煎器が置かれている。焙煎は周に一度、月曜日におこなう。
「焙煎は楽しい。回しながらいろいろ考えられる。僕はまだ駆け出しだけど、大坊珈琲店の大坊さんもこういう気持ちだったのかと想像したりして、偉大な珈琲店のマスターたちを思いめぐらしながら」

坂爪さんが「自分が落ち着いてコーヒーを飲めるお店」をイメージして設計者に相談した空間には、アメリカやイギリスのアンティークチェアが静かな表情で並んでいる。だから、ひとりでコーヒーとスイーツを楽しんでいく男性客も多いのだ。50代、60代の男性でもまったく違和感がない。TIESの包容力である。

HISTORY

2004/12 クリスマスイブに開店。
誕生日や結婚披露宴のための特注ケーキ、バレンタインなどのイベント商品の注文を積極的に受ける。
2008 カフェの営業時間中もスイーツ製造に追われるようになったため、もっと喫茶のお客さまに真剣に向き合いたいと、特注ケーキや大口のイベント商品の受注をやめ、店頭のケーキを切らさないよう充実させるべく方向転換していく。
週休2日として、その2日間にスイーツ製造の基本を集中させる体制を作る。
2012/12 コーヒー焙煎の試行錯誤を始める。
大坊珈琲店の大坊勝次氏やアジューダの繁田武之氏にアドバイスを仰ぐ。
2013/02 自家焙煎コーヒーの提供をスタート。
2014/08 TBSのラジオ番組「東京ポッド許可局」に日比谷公会堂でのイベントスポンサーとして参加。それを機に、遠方からも新たな顧客がTIESに訪れるようになる。
2015/02 大坊勝次氏を招いてコーヒーの会を催す。

SHOP DATA

TIES(タイズ)
住所:東京都文京区湯島4-1-13 1F
最寄り駅:本郷三丁目、湯島

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コンセプトは「昔ながらのコーヒー専門店」だが、空間もコーヒーの味もさりげなく洗練された進化形。自家焙煎したおいしいスペシャルティコーヒーを、素材やその配合に工夫を凝らしたホットケーキや、小さな鉄板で焼いてそのままサーブするフレンチトーストとともに味わえる。

自家焙煎珈琲 みじんこ
住所:東京都文京区湯島2-9-10
最寄り駅:湯島

1985年のオープン以来、30年にわたって親しまれてきたカフェ。店舗デザイナーの松樹新平が手がけた空間は南フランスの一軒家をイメージしており、太い梁の下にアンティーク家具や籐椅子を配した落ち着いた空間がひろがる。漆喰の白壁は歳月とともに淡い琥珀色の風合いに変化。コクテール堂の豆を使ったコーヒーとスイーツで、憩いのひとときを。

French Vogue(フレンチヴォーグ)
住所:東京都文京区湯島3-16-13
最寄り駅:湯島

湯島天神のそばに、小さな青い日よけとタイル貼りの壁が目印の小さなカフェがある。サラダとミニデザートの付いたランチが好評で、平日のお昼どきは界隈で働く人々でにぎわう。定番のキーマカレーは、トッピングに温玉またはチーズを選ぶことができる。

ヒヨリ+キッサ
住所:東京都文京区湯島2-33-5
最寄り駅:湯島

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※本記事内の情報は2015年10月20日時点のものです。掲載情報は現在と異なる場合がありますので、事前にご確認ください。
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