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【川口葉子カフェ連載Vol.6】珈琲と読書と音楽と、名づけようのないもの/トムネコゴ

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カフェライターの第一人者である川口葉子さんの連載「川口葉子の東京カフェクロニクル」。開店から3年以上経ち、地域に愛される存在になったカフェの歴史やエピソードを毎回綴ります。第6回は、吉祥寺の「トムネコゴ」をご紹介。

Date2015/08/21

[連載] 川口葉子の東京カフェ クロニクル 〜カフェの上にも3年〜

人生を見つめ直す時にこそ訪れたい。心の糧を与えてくれる“教会”のような存在の喫茶店。

音楽好きの中には、その時々のヒット曲を聴いて楽しむ人と、ひいきのミュージシャンを深く掘り下げて聴く人がいるものだが、カフェ好きもそんな二派に分かれるのかもしれない。

トムネコゴは後者の聴き方をする人に、ささやき声で推薦したい一軒だ。

井の頭公園駅から歩いてほんの数分、緑と静けさに包まれた立地。公園の木立ちから時おりセミの声が降ってきて、トムネコゴの店内に流れる音楽と混じりあう。

店主の平良さんは季節や時間帯やお客に合わせて注意深く音楽を選んでおり、それがバッハの平均律クラヴィーア曲集のこともあれば、チェット・ベイカーのこともある。

古びたアパートの2DKを居心地よく改装した小さな空間には、独特の風情が漂っている。

70年代のスピーカーの横に多数のレコード。書架に並ぶ国内外の小説やエッセイ、映画や音楽にまつわる本。読書好きの人間ならば、くっきりとその志向を見てとることができるだろう。

メニューには数種類の珈琲と紅茶とビール、2種類のケーキとトースト。平良さんは注文を受けるつど珈琲豆を挽き、ネルでドリップして提供する。ほど良いコクと、すっきりとした喉ごしをもつ一杯。評判のスフレチーズケーキは、2年ほど改良を繰り返して現在のレシピに落ち着いた。

しかし、「珈琲もケーキもあくまでもトムネコゴの一部であって、すべてではない。何かひとつが突出しないように気をつけています」と平良さんは言う。たとえば読書するお客が醸し出す空気も大切な要素だし、穏やかなトーンの会話や、雨の夕暮れどきに店内にたちこめる薄闇や、肌寒くなってくると点火されるストーブの揺れる炎も、トムネコゴという名状しがたい空間を構成する一部だ。

トムネコゴを私に勧めてくれた人々は、異口同音に言った。
「どんなお店かっていうのが説明しにくいんだけど、あなたは必ず好きになるはず。行けばわかるから」

そのような語り方をされるお店が誕生するには、理由がある。平良さんが奥さまと二人でトムネコゴを始めたのは、かけがえのない喫茶店の喪失がきっかけだった。

「20代の前半、救いを求めるようにして1軒の喫茶店に通った時期がありました」

そこにはネルで抽出される珈琲があり、ジャズがあり、独りだけの時間があった。何をするでもなく、ただ放心したり黙って本を読んだりして過ごせる喫茶店。それはちょうど平良さんがジャズやクラシックなどの音楽と文学を切実に魂に吸収しはじめた時期でもあった。

「日々がどんなに辛くて大変でも、その喫茶店に30分も座っていれば、なんとか生きていけるだろうと感じられたんです。ときどき冗談半分に言うんですが、喫茶店は信じる者にとって教会みたいな存在。20代の僕が抱えていた問題は自分の手に余るもので、この先どう生きていけばいいのかわからなかったし、助けてくれる人もいなかったから、出会った喫茶店に救いを求めて心の糧を得ていた。とりあえずそこに行きさえすれば、なんとかなる場所でした」

私はその言葉に深い共感をおぼえる。やがて平良さんは奥さまにもその喫茶店を教え、共に訪れたり、それぞれ独りで訪れたりするようになる。しかしある日、扉に「閉店」の貼り紙が――

「僕たちは路頭に迷ってしまった。帰り道、奥さんと『行き場がなくなっちゃったね』と話しているうちに、じゃあ自分たちでああいう喫茶店を作ろうか、そうすれば僕たちみたいな人も来るんじゃないだろうか、と思ったんです」

数か月後に平良さん夫妻が鎌倉に開いたトムネコゴは、“教会”の遺伝子を受け継いでいた。中古家具店で見つけてきた木の家具に混じって、大切な喫茶店のマスターから譲り受けたテーブルも置かれた。

音楽や文学を血肉とした人がつくりあげる空間に、感応する人は鋭く感応するのだろう。トムネコゴは2012年に観光客の多い鎌倉を離れ、平良さんが20代を過ごした吉祥寺に移転したが、鎌倉時代の常連客たちは珈琲を飲みながら過ごす何でもない時間を求めて、はるばる吉祥寺までやって来るのだ。

自分をそっと立て直す場所が必要になったら、トムネコゴの扉を開けてみてください。そこには、珈琲と読書と音楽と、名づけようのないものがある。

HISTORY

2008/10 鎌倉駅から少し離れた二階建ての建物の1階にトムネコゴを開店。
2009/初夏 ピアノとウッドベースによるジャズライブを開催。以降、ほぼ月に1回のペースで続けられる。
常連客となった絵本画家、むかいながまさ氏の作品展をおこなう。
2009/秋 これまで専門店から取り寄せていたケーキを自家製とし、改良を重ねていく。
2011/03 東日本大震災を契機に、観光客の多い鎌倉を離れることを決意。
2011/08 「通ってくれるお客さまがゆっくりできる珈琲屋」をめざして、トムネコゴを同じ建物内の2階へ移転。
2012/01 吉祥寺に遊びに行った夫人が、たまたま公園のそばに物件をみつける。
2012/02 鎌倉の店舗をクローズ。
2012/03 吉祥寺の物件を自分たちの手で改装。
2012/04 鎌倉で使っていた家具を吉祥寺の店内におさめて、トムネコゴを再開。

SHOP DATA

トムネコゴ
住所:東京都三鷹市井の頭3-32-16 セブンスターマンション1F
最寄り駅:吉祥寺

まだある!川口葉子おすすめの吉祥寺カフェ

おっとりした空気が最高に心地よい、どこか秘密基地めいた空間には、ひとりで食事や読書を楽しむ女性が多数。定番の「豚の角煮のせ高菜ごはん」は15年前、クワランカが渋谷の屋上の小屋でスタートした時からの人気メニュー。

クワランカ カフェ
住所:東京都武蔵野市吉祥寺南町1-2-2 東山ビル4F
最寄り駅:吉祥寺

千葉のKUSA.喫茶の自家焙煎コーヒー豆を使ったおいしいコーヒーと、手作りのお菓子を供する小さなカフェ。女性二人がつくるシンプルでセンスの良い空間に、ほのかなコーヒーの香りと幸福感が漂っている。

kibi cafe(キビ カフェ)
住所:東京都三鷹市井の頭4-26-7 平山荘102
最寄り駅:吉祥寺

コクの豊かな極上のコーヒーが飲みたくなったら、駅近くのこのカフェへ。カフェ・ファソンの焙煎豆を用いる一杯は、抽出方法を選べたり斬新なアレンジがあったりと楽しさ満載。このコーヒーを使った贅沢な天然氷かき氷も登場。

Cafe Lumiere(カフェ ルミエール)
住所:東京都武蔵野市吉祥寺南町1-2-2 東山ビル4F
最寄り駅:吉祥寺

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川口葉子

川口葉子さん

東京在住

プロフィール

喫茶時間を愛するライター。カフェについての著書多数。様々なメディアでカフェやコーヒー特集の監修、執筆を手がける。

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