イルミネーションを見る
今年もクリスマスがやってくる。街がイルミネーションで輝き出す。餌を見つけたアリのようにカップルがワラワラとそのイルミネーションに集まり出す。クリスマスとはそのようなものになっている。
「クリスマス=カップル=イチャイチャ」、という小学生でも解ける方程式が今の日本には存在する。本場であるアメリカやイギリスでは、クリスマスは基本的に自宅で家族と過ごすもの。カップルでイチャつく日ではないのだ。
日本人はクリスマスの本質が分かっていないのだ。カップルで浮かれる日ではないのだ。むしろソロ活を送る、我々の方がクリスマスを分かっている。一人だから浮かれることができないからだけど、浮かれない。実家にいる人も多いので、むしろ本場のクリスマスを過ごしていると言える。
今の浮かれたクリスマスに「喝」を言いたい。しかし、まずは自分に「喝」なのだ。正直、どこかで恋人と過ごしたいと思う弱い心を持っている。クリスマスなんてどうでもいい、という気持ちを手入れる必要があるのだ。それが必要なのだ。
僧侶となる
ソロ活をするものとして、クリスマスを断ち切るため、僧侶となり、大仏を回ろうと思う。悟りを開けるはずだ。クリスマスをなんとも思わない、大仏のような大きな心を手に入れるのだ。
一人である。一人こそが悟りを開くのだ。修行とは仲間とワイワイとするものではない。一人で黙々と悟りを開くために励むのだ。ということで一人、上野の大仏にやってきた。大仏を前に「ありがたいな」という気持ちになる。
上野の大仏は本来6メートルほどあったけれど、度重なる災害で今では顔だけになっている。私もこのような人間になりたいと思う。クリスマスを微塵も感じさせない佇まい。また顔だけになっても、その大きさを感じさせる。私もこのような大きな人間になりたいのだ。
- 上野大佛(上野大仏)
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所在地
東京都台東区 上野公園
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最寄駅
京成上野
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日暮里の大仏
次の大仏に向かう。道すがらカップルを見ても、気持ちがざわつかない。禅の気持ちを理解しつつあるのではないだろうか。悟りを開くために大仏を巡ること、それが本当のクリスマスなのかもしれない。
優しい表情をした大仏様だった。1690年に作られた大仏だそうだ。水戸黄門で有名は徳川光圀が、水戸藩の藩主の座を徳川綱條に譲った年だ。そんな歴史あるものを見ることができる喜び。日本のクリスマスは明治時代からなので、大仏の方が全然歴史が古いのだ。
日本においては近代的と言ってもいいクリスマスにうつつを抜かすのではなく、歴史ある大仏を見る。これが徳だ。クリスマスなんてどうでもいい気がしてくる。なぜ人はクリスマスにこだわっているのだろうか。悟りは近いようだ。
- 護国山尊重院 天王寺(谷中七福神 毘沙門天)
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所在地
東京都台東区 谷中7-14-8
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最寄駅
日暮里
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電話番号
03-3821-4474
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鎌倉の大仏
最後に鎌倉の大仏を見にいく。私は悟りに近づきつつある。クリスマスなんてどうでもいいのだ。カップルになれなくてもいいのだ。一人こそが素晴らしいのだ。クリスマスをカップルで過ごす人たちなんて、微塵も羨ましくないのだ。
ここで偶然仕事関係の人に会い、三脚を設置している私を見て、「写真撮りましょうか?」と提案してくれた。私は悟りを開く修行の身。この提案を受け入れるはずがなく、となるはずもなく、「ありがとうございます」と写真を撮ってもらった。便利。人って便利。
- 鎌倉大仏殿高徳院
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所在地
神奈川県鎌倉市 長谷4-2-28
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最寄駅
長谷
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電話番号
0467-22-0703
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人がカップルになる理由が分かった気がする。三脚を設置するのが面倒だから、人はカップルになるのだ。しかし、それでは世の中のカップルが次々に別れますように、という悟りというか、願いを結願できない。一人で、もう一度歩きだそうではないか。
海で清める
知り合いと別れ、海を歩く。波の音に心が洗われる。世間はクリスマに浮かれているけれど、それがなんだというのだ。ここで私と世間のカップルとの間に差が生まれる。いま私は人としてのレベルが高くなろうとしているのだ。
クリスマスなんてどうでもいいのだ。一人こそが素晴らしい、という悟りが開けた気がする。道行くカップルを見るとかわいそうな気すらしてくる。一人が素晴らしいのに、カップルなんて、と思うのだ。カップル、かわいそうだ。
そのような悟りを開くことができたので、仕上げに冬の海に入ろうと思う。私は悟った身だから、冬とて寒くない。この世の春という状態で、私だけが春なのだ。もはや私だけが夏と言っていいかもしれない。それが悟りなのだ。
悟っていないから、人は恋人に温もりを求める。その結果、クリスマスをカップルで過ごすことになる。しかし、悟った私は温もりを必要としない。一人でも十分に熱いのだ。冬の海とて、私にとっては、カップルで過ごすクリスマス以上に温かなのだ。それが悟りだ。
もう隠せない。寒い。ありえないくらい寒い。正直に言うと、朝、僧侶の格好をした時からずっと寒かった。さらに海に入れば長襦袢が海水を含み、凍えるレベル。何が悟りだ。そんなのない。温もりが欲しい。恋人が欲しい。恋人という温もりが欲しいのだ。
しかも、私の長襦袢の隙間から赤いパンツが見える。クリスマスだ。赤と言えばクリスマス。浮かれている。このパンツを買った時も、クリスマスみたい、と思い買っていた。それを履いて今日1日大仏を回っていたのだ。なにが悟りだ、浮かれすぎだ。
あと朝から持っていたのは「数珠」ではなく、ハワイに行った時に浮かれて買った貝のネックレス。ハワイなんてカップルが最も浮かれている場所(私は家族の事情で行きました)。全然悟りが開けていないのだ。ずっとすれ違うカップルが羨ましかった。
強がらずに街コンとかに行けばよかった。イルミネーションを見たいのだ。大仏を見ながら、大仏にもLEDが巻きつけてあればな、と思っていた。結局、一番クリスマスに浮かれていたのは私かもしれない。
ライター紹介
1985年福岡生まれ。基本的には運だけで生きているが取材日はだいたい雨になる。2014年より東京農業大学非常勤講師。著書に「妄想彼女」(鉄人社)、「昔のグルメガイドで東京おのぼり観光」(アスペクト)がある。なお、記事の写真は三脚2台使用での完全一人撮影。
- 本記事内の情報に関して
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※本記事内の情報は2015年12月18日時点のものです。掲載情報は現在と異なる場合がありますので、事前にご確認ください。
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