「なんか教科書で見たことある!」。この感覚、すごく楽しいと思うのは筆者だけでしょうか。過去に旅行のトランジットでカナダを訪れた際、針葉樹林だらけの街を見て「地理の教科書と一緒や!」と胸が熱くなった筆者。それと同じ経験が東京でも味わえることに気づいたのは最近のことです。


東京で楽しめるのは「これ、日本史の教科書と一緒や!」です。時代は今から約150年前。このころの東京といえば幕末の真っ只中です。坂本龍馬や高杉晋作、岡田以蔵、大久保利通、井伊直弼など、歴史好きの人でなくても知っている「歴史上の偉人」たちが日本の未来のために尽力した時代でした。


そんな胸アツな歴史の名残を感じられる場所が東京には数多く残っています。仲間とともに歴史散策もいいけれど、一人でじっくり見て回るのもいいですよね。誰もが知るあの偉人のゆかりの地を思う存分堪能したり、歴史の流れに沿って史跡を訪ねたり……他人に振り回されず、自分の思うままに散策できるのもソロ活の醍醐味です。しかも多くの史跡が無料で見学できるとあっては、行かない手はありません。幕末を感じられる史跡をさっそく探しに行ってみました。

桜田門外の変

大老・井伊直弼が水戸・薩摩の脱藩浪士たちに切り付けられ暗殺された桜田門外。学校のテストでも頻出だったワードではないでしょうか。


この桜田門外、現在の桜田門駅3番出口から上がってすぐのところに位置しています。

▲青空の下の桜田門外

▲青空の下の桜田門外

桜田門外の変が起きた発端は、第13代将軍である徳川家定の後継者をめぐる争いでした。なんだか歴史の授業が始まりそうですが、とりあえずここは、大老が暗殺された歴史的事件のあった場所ということです。


桜田門外の変が起きたのは1860年3月24日(安政7年の3月3日)の春先のこと。この日は季節外れの雪が降っていたと言われています。水戸・薩摩の脱藩浪士たちはひな祭りの祝賀へやってくる大名駕籠(かご)を見物している風を装い、井伊直弼のいる彦根藩がやってくるのを待っていたのだとか。そして井伊直弼の乗った駕籠が桜田門外に差し掛かったとき襲撃を図ったとされています。


実はこの桜田門には「内」と「外」があります。井伊直弼が暗殺されたのは外桜田門(別名:高麗門)の更に外。江戸城は防衛力を高めるため「枡形門(ますがたもん ※解説イラストあり)」の形式を採用しており、高麗門をくぐると別の門(渡櫓門)が出てきます。その先に「内」にあたるもう一つの門・内桜田門(別名:桔梗門)がある……。城にたどり着くまでに何重にも門が重なっており、ここを実際に通ると江戸城がいかに攻めにくい構造になっていたかが分かりますね。

▲筆者が30分かけて書いた枡形門の解説イラスト。侵入されても四方が囲まれているので一網打尽にできる

▲筆者が30分かけて書いた枡形門の解説イラスト。侵入されても四方が囲まれているので一網打尽にできる

▲左が渡櫓門、右が高麗門。合わせて外桜田門

▲左が渡櫓門、右が高麗門。合わせて外桜田門

なお、桜田門の近くには「坂下門外の変」で知られる坂下門もあります。坂下門外の変は、尊攘派の水戸浪士らが老中の安藤信正を襲撃し負傷させた事件。

▲ここが坂下門外

▲ここが坂下門外

江戸城は攻め入られてないけど、そこらじゅうで「○○の変」が起きていた幕末だったようです。皆さんも実際にここを歩き、争いの歴史を肌で実感してみてはいかがでしょうか。

土佐藩上屋敷跡

続いては場所を有楽町へ移し、土佐藩上屋敷跡へ。土佐藩といえば、坂本龍馬、武市半平太、岡田以蔵、板垣退助などそうそうたるメンバーを有しています。その屋敷があった一帯は、現在は東京国際フォーラムとなっています。

▲正直、名残なんて全くない近代的すぎる土佐藩上屋敷跡

▲正直、名残なんて全くない近代的すぎる土佐藩上屋敷跡

土佐藩上屋敷があった一帯は、その後東京府庁舎となり、時代を経て東京国際フォーラムとなりました。現在残っているのは東京府庁舎の石碑だけ。ちょっとさみしい気もします。

▲東京国際フォーラムのガラス棟には無料の休憩スペースが

▲東京国際フォーラムのガラス棟には無料の休憩スペースが

▲土佐藩上屋敷跡で実家の母が送ってくれたパウンドケーキをついばむ私。なんとなく土佐藩に招かれた客の気分

▲土佐藩上屋敷跡で実家の母が送ってくれたパウンドケーキをついばむ私。なんとなく土佐藩に招かれた客の気分

旧薩摩藩蔵屋敷跡

続いては旧薩摩藩蔵屋敷跡へ。西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀などのメンバーを輩出した薩摩藩。その薩摩藩の蔵屋敷跡が、田町駅近くにあります。

▲旧薩摩藩蔵屋敷跡の石碑

▲旧薩摩藩蔵屋敷跡の石碑

幕末を語る上で欠かせない旧薩摩藩蔵屋敷跡。実はこの場所、幕末から明治へ時代が変わった際、江戸城を新政府へ引き渡す交渉「江戸無血開城」の舞台となった場所なのです。西郷隆盛と勝海舟が向かい合い、江戸開城の話し合いを行った……ドラマや映画などでそんなシーンを見た覚えがある人も多いのではないでしょうか。


現在はビル群の中にありますが、もともと田町は海岸沿いの町でした。旧薩摩藩蔵屋敷の裏は砂浜だったそうで、さまざまな物品が陸揚げされていたようです。

▲石碑には「これこれ!」感のある西郷隆盛と勝海舟が会談を行う様子が

▲石碑には「これこれ!」感のある西郷隆盛と勝海舟が会談を行う様子が

▲現在は菱自動車工業本社ビルになっている旧薩摩藩蔵屋敷跡。こちらもかなり近代的に様変わり

▲現在は菱自動車工業本社ビルになっている旧薩摩藩蔵屋敷跡。こちらもかなり近代的に様変わり

血を流さず、「話し合い」によって成し得た江戸開城。先人たちの平和的解決に学ぶことは多そうです。


東京にはこのほかにも「龍馬が黒船を見たとされる場所(浜川砲台跡)」や「浅野内匠頭が吉良上野介に切りかかり、忠臣蔵の発端となった場所(松之大廊下跡)」などがあります。歴史好きにとってはたまらない、そうじゃない人にとっても「教科書で見たことある厳粛な場所にいる感」を楽しめるのではないでしょうか。

激動の幕末の軌跡をソロで楽しむ3ヵ条!

その1 歴史のロマンを感じたいなら、空想に没頭できるソロが最適

その2 桜田門外は雪が降る日に行くとよりそれっぽい雰囲気を味わえそう

その3 休憩するなら土佐藩上屋敷跡の東京国際フォーラムで。土佐藩上屋敷があったことを想いながら厳かな気持ちで休もう

その4 旧薩摩藩蔵屋敷跡はビジネスマンや学生など人の往来が多い場所。撮影する際はみんなの邪魔をしないように!

桜田門
  • 所在地

    東京都千代田区 皇居外苑

  • 最寄駅

    桜田門

東京国際フォーラム
  • 所在地

    東京都千代田区 丸の内3-5-1

  • 最寄駅

    有楽町

  • 営業時間

    オープンスペース 7:00~23:30

  • 定休日

    なし

  • 電話番号

    03-5221-9000

田町駅(JR東日本)
  • 所在地

    東京都港区芝 5-33-36

  • 最寄駅

    田町

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※本記事内の情報は2015年01月23日時点のものです。掲載情報は現在と異なる場合がありますので、事前にご確認ください。
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