思えばずいぶん多くの一人遊びをしてきた。この連載でも、一人バーベキューに一人ボウリング、一人人生ゲーム、思いつく限りの一人〇〇に挑戦した。その都度、私は真剣だった。“ぼっち”はみじめなんかじゃない。“ぼっち”でも充分楽しい。そのことを伝えたい一心で、一人遊びの世界を追求してきた。端から見ると、単なる一人相撲だったかもしれないが。ならばいっそのこと、本当に一人で相撲をやってみたらどうなるのだろう。文字通り、一人で、相撲をとる。それこそ(慣用句的な意味で)一人相撲かもしれないが、やってみる価値はあろう。と、いうか、はっきり言ってしまうと、「一人相撲」と言いたいただそれだけのために今回私は一人で相撲をしに行く。


ただ、私は相撲に明るくない。神聖なる国技である相撲。やるからにはきちんとやりたい。そこで、まずは日本大学の女子相撲部のみなさんに協力していただき、相撲の基礎を教わることにした。日大女子相撲部は、中量級のチャンピオンの兼平志織選手も在籍している強豪チームである。


11月某日、夜7時。日大相撲部の練習場へお邪魔した。女子相撲は通常、相撲用のレオタードを着用し、その上からまわしをつける。今回は貸出用のレオタードでちょうどいいサイズがなかったため、まわしだけを借りることにした。

まわしは思った以上に安定感が強く、つけただけで足腰がどしりと据わる。立っていながら、上半身すべてをまわしに預けているような感覚だ。部員の方々に「何をやってみたいですか?」と聞かれたが、相撲のことは何もかも分からないので、基礎の基礎である「四股踏み」から始めることになった。

▲四股踏み

▲四股踏み

テレビなどで見る四股踏みは、軽々しくやっているように見えるが、思いのほか難しい。何よりまず、体が硬くて足が全然上がらない。後に、整理体操をしたときに分かったことだが、相撲部のみなさんは全員めちゃくちゃ体が柔らかかった。確かに、柔軟なほうが相手の体をねじ伏せるときのバリエーションが増えそうなのは理屈としては分かる。けれど、相撲に柔軟性が必要というイメージはまったくなかったので、かなり意外な発見だった。


次に、「すり足」という、試合中の基本の動き方を教わった。わきを締め、ろくろを回すような手をしたまま、足をずりずりと引きずって歩く。油断するとすぐに足をすらずに浮かせて動かしてしまうし、手の形は崩れるし、当然ながら部員の皆さんのものすごく速いスピードのすり足には到底追いつかないし、散々であった。


▲すり足

▲すり足

一人で相撲をするにあたって、土俵で手持ち無沙汰にはなりたくない。そのために知るべきは、技である。「なんか技を! 技を教えてください!」。敵に勝てなくて焦る少年漫画の主人公さながら、私は教えを請うた。挑戦したのは、「下手投げ(したてなげ)」と「足取り(あしとり)」。こんなの一人でできるのだろうか……。

▲下手投げ(したてなげ)

▲下手投げ(したてなげ)

▲投げられ役をやって下さった一年生の部員

▲投げられ役をやって下さった一年生の部員

▲足取り(あしとり)

▲足取り(あしとり)

最後に、いかにも相撲っぽい練習として、「ぶつかり稽古」をやった。ぶつかる側と受ける側に分かれて、ぶつかる側は受ける側をぐいぐいと押し出す。こういった稽古を通して、相手の出方や空気感を学ぶのかと思いきや、相撲にはそういった“無言のコミュニケーション”のようなものはあまりないらしい。ある部員は「相撲って単純ですよ。劣勢のときはひたすら我慢。勝つにはとにかく力押し。相手の出方の読み合いなんかする暇もなく、試合が始まった瞬間に押し出しにいきます」と言う。

▲ぶつかり稽古

▲ぶつかり稽古

▲練習が終わったら「蹲踞(そんきょ)」のポーズをして黙想をする

▲練習が終わったら「蹲踞(そんきょ)」のポーズをして黙想をする

こうしてひと通りの練習が終わり、帰ろうとしていたら、これからみんなで夕飯を食べに行くから一緒に来ないか、と誘われた。少し迷ったが、せっかくの誘いを断るのも感じが悪い。18歳前後の女子大生たち4人と、10歳以上も上の私とで近くのハンバーグ屋へ行くことになった。「これヤバいね。ヤバいおいしそう」、「そのメニューはヤバいでしょ!」とメニューを見ながら楽しそうに言い合う。若い子は「ヤバい」ばかりを使うとはよく言うが、本当に会話の中での「ヤバい」の登場回数はヤバかった。どう振る舞うのが適切なのかは分からないが、彼女たちの団欒を邪魔してはなるまい。この場で明らかな“異物”になってはなるまい。背中を小さく小さく曲げて、私はハンバーグを注文した。たまたま、彼女たちの中の一人と、注文したハンバーグの種類やトッピングがまったく同じだったので安心した。年齢も属性も何もかもが違っている私は、そのほかのもので“同じ”を演出する必要がある。“同じ”の数は、異物ではない証の数だ。


店に入る前に「みんなでSNOW撮ろうよ」と、スマホを向けられた。スマホアプリのSNOWが流行っていることは知っていたが、実際に撮るのは初めてである。画面には、どういう顔をしていいか分からない私の表情の上に、ネズミのヒゲや耳がついていた。


注文を済ませ、ハンバーグが運ばれてくる前に、サービスの小さな野菜ジュースが5人分出てきた。5つの小さなグラスをきれいに並べて、揃ってInstagramで撮り始める。出遅れた私は、ハンバーグが来たときこそ、Instagramを開こうと思った。ほとんど使っていないInstagramでハンバーグを撮影し、よく分からないフィルターで適当に加工したとき、ようやく彼女たちと同じ目線に立てたような気がした。


「みんなSNOW使ってるの?」、「いつも写真はどこに投稿するの?」、「一番よく使うSNSは何?」、「今一番流行ってるのって何?」、せっかくの機会なので、聞きたいことはたくさんあった。けれど、知らない世界の知らない話を、私は聞けなかった。


なぜ聞けなかったのだろう。


たぶん、それをひとつでも聞いてしまうと、彼女たちにとって“異物”になると思ったからだ。質問をした途端、私は彼女たちの世界のことを知らない人間、わざわざ聞いてくるくらい何も知らない人間、になるからだ。質問をするということは、「私はあなたとは違う人間です」と宣言することである。その相手にとって“異物”になる勇気が要る。結局、いつもよりも多めに「ヤバい」という言葉を使ってその場をやり過ごした。私は、“異物”になる勇気を持てなかった。


後日。私は大田区にある梅屋敷公園へやってきていた。一人相撲・十一月場所が今日、この場で開催される。

ちなみに、「一人相撲」自体は愛媛県・大山祇神社でも神事として行われている。「一人角力」と呼ぶそれは、人間と神様が力比べをして神様が勝つ、といった意味合いがあるらしい。

▲クラウチングスタートしてる人みたいになってしまった

▲クラウチングスタートしてる人みたいになってしまった

▲ハンドパワーみたいになってしまった

▲ハンドパワーみたいになってしまった

日大相撲部で教わったことを思い出しながら一人、ありもしない足を取り(足取り)、いない人を投げる(下手投げ)。思い切り前に押し出した手がむなしく空を切ったとき、相撲部の人の「相撲って単純ですよ」の言葉を思い出した。


私はいつも、その場の“異物”になるのが恐い。大勢の中にうまく馴染めないと、“異物”になる。それを恐れるあまり、一人でいることを選択しているのだ。頭のどこかで、自分がそう思っているだけだと思いながら、まさしく“一人相撲”をしているのである。きっと、もっと単純に考えていいのだ。体を動かしている爽快感も手伝って、手を前に押し出すたびに、気持ちがすっきりしていくような気がしたのだった。


▲行司も自分でやった

▲行司も自分でやった

一人相撲を楽しむ3カ条

その1 相撲は単純

その2 一人で相撲をしながら雑念を押し出すとすっきりする

その3 土俵は公園やスポーツセンターで予約できる

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※本記事内の情報は2016年11月30日時点のものです。掲載情報は現在と異なる場合がありますので、事前にご確認ください。
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