【吉原の起源】
大火(1657年)で日本橋の吉原遊廓も焼失後、浅草に移転。以前の日本橋の方を元吉原、浅草の方は正式には新吉原(吉原)と呼ぶ。
【江戸期の吉原】
周囲にお歯黒どぶと呼ばれる幅2間程の堀が巡らされ、出入口は正面を山谷堀沿い日本堤側のみと、外界から隔絶されていた。
遊女には花魁・新造・禿などの身分があり、店にも茶屋を通さないと上がれない格式ある大店から、路地裏にある小店までの序列があった。
一流の遊女は和歌や茶道など教養を身に付けており、初めて上がった客と一緒に寝ることはなく、三度目で馴染み